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第5回目: 新谷米三郎 (美川村の人工造林活動)
江戸末期のころ、旧美川村東川で新谷芳造は酒造業を営んでいました。万延元年(1860)、旧北条市の庄屋に生まれた今井米三郎は、この新谷家の養子となりました。 当時は酒造りの手伝いもしましたが、田や畑にも出ました。慣れないためにあぜぬりがへたで、村の人からよく笑われたことがありました。 米三郎は、明治22年(1889)東古味水利組合長となりました。早速、道幅の狭い道路の改修にとりかかりました。馬が荷をつけて出会うとすれ違にも困り、人々は不便を感じていました。明治24年(1891)、北藩里道開削組合が設立されると、その委員となって道路の新設や改修に努めました。 明治30年(1897)には仕七川村助役となり、翌年より村会議員となりました。そして、明治32年(1899)には、生産の安定と食生活の改善、農家経済の確立をめざして、東古味開田計画をたてました。工事にとりかかりましたが、不幸にも洪水のため失敗に終わりました。 明治40年(1907)再び助役となり、大正元年(1912)には、仕七川村第4代目の村長に就任、行政的手腕を発揮しました。まず、就任2年目には、勉学と農業を志す者のために、農業補習学校を設置して、農民教育の振興に務めたのです。 米三郎は東古味水利組合長時代に続いて、道路開設に力を入れ、特に土佐街道(久野下〜池川)の開道は、地域住民に大きな利益をもたらしました。また、産業面では、三椏・養蚕の奨励をするとともに植林事業にも努力しました。旧美川村の人工造林の繁栄は、彼の業績のひとつであり、現在の美川地域の住民はその恩恵に浴しています。 米三郎は長期にわたり村の繁栄に尽くし、大正7年(1918)11月7日、村長在任中、53歳でその一緒をとじました。誠に惜しい早逝でした。 (「上浮穴郡に光をかかげた人々」より引用 愛媛県上浮穴郡旧久万町教育委員会編)