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第9回目: 秋本 半次郎 (久万町で部落有林植林活動、秋本式枝うち)
秋本半次郎は、明治5年(1872)1月12日、久万高原町菅生140番戸に、父富十郎、母コマツの二男として生まれました。 幼いとき、父富十郎と井部栄範との交友の関係から、菅生山大宝寺に入門しました。やがて寺を出た半次郎は、家業に専念することとなりました。父とともに、農家経済の貧しさに心をいため、なんとかして産業をおこさねばならぬと考えました。そこで、自分が植林するのはもちろん、地域住民のために、菅生村(現久万高原町菅生)からかりうけてあった約150ヘクタールの土地に、引き続き植樹させ管理させました。また、部落の財産をつくるために自分の土地3ヘクタールあまりを寄付し、たくさんの木を育てました。この木は、第二次世界大戦後の農村不況のとき、230万円で売られ、部落住民の苦難を救ったといいます。 また、この地域が茶の栽培に適していることを知ると、栽培加工の技術を習得し、多くの人々を指導しています。さらに、中の村耕地整理組合をつくり、約6ヘクタールの耕地の交換分合や区画整理をやってのけています。 このような農家経営のかたわら、久万区荒予備組合理事をつとめたり、菅生村村会議員、助役、明治44年(1911)12月26日から大正4年(1915)12月25日までは村長をつとめたりしています。 半次郎は、父と身十郎とは正反対に、おとなしくやさしい人物であり、さらにたいへんな努力家であったといいます。以下半次郎の人間性をたどってみましょう。 半次郎は、とにかく努力の人でした。朝仕事にでかけると昼ぬきで仕事をしたといいます。心配した家人が弁当をとどけても、なかなかはしをとらなかったそうです。また、月夜の晩には田の5枚や6枚は、きれいに耕したともいいます。1年365日のうち、320日は山仕事をしたという記録も残っています。 ただ仕事熱心であっただけではありません。 常に研鑽をおこたりませんでした。新技術の技法について、今日では全国的に知られるほどの発明をしています。せっかく枝打ちをしても、気の幹をいためたのではいけません。そこで半次郎はさまざまの工夫をしました。ある日、息子の富栄が、吉野で使っていたなたを手に入れてきました。なるほど良いなたでありますが、先端のかぎになった部分が幹に食い込むことがあります。そこでやすりですりつぶして使ってみました。それでも満足できません。さまっざまに考えた結果、刃をそらすことを考え付きました。このようにして出来上がったのが「秋本式枝打ちなた」です。今日では特許販売されています。図面を引いて弁当がけでかじ屋に出かけたそうです。 (「上浮穴郡に光をかかげた人々」より引用 愛媛県上浮穴郡旧久万町教育委員会編)